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  第3回 「宏先生の思い出」 秋松伸一  
第三回目は、秋松伸一さんにご登場いただきます。
秋松さんは、20歳の時、草月会に入社され、約40年間にわたり草月流
初代家元から茜家元に至るまでアトリエスタッフとして制作に携われました。
今回は、宏先生の制作現場でのエピソードをお話いただきました。

橋の会公演「半蔀」(東京、宝生会館)自作花器に竹としだれ柳をいける宏先生(右)助手・秋松伸一さん(左)(1986年7月9日撮影:小沢忠恭)

橋の会公演「半蔀」(東京、宝生会館)
自作花器に竹としだれ柳をいける
宏先生(右)助手・秋松伸一さん(左)
(1986年7月9日撮影:小沢忠恭)

−この写真は、宏先生が能の舞台美術を担当された時のものですね−

宏先生は「能舞台の空間」や「三方からみられる客席の視線」に興味をもたれた
ようです。
この時に蓮もいけました。
蓮は水揚げをしても、非常に寿命が短い花材です。
公演の最中、時間の経過とともに自然に枯れてゆく蓮の葉の移り変わりが、
実に美しかったことを今でも記憶しております。
これも、宏先生の計算された演出の一つでした。

−制作現場では、助手としてどのようなことに気をつけていらっしゃいましたか。−

先生がなさりたい事を素早くくみとる事が第一です。
冷静に、素早く行動にうつし、確実に技術でこたえていくこと。
数ミリのくるいもゆるされませんでした。

−制作中にはどのような形でご指示をなさるのですか。−

もともとあまりしゃべらない方ですから、宏先生の作品に対するおもいを察することが
大切でした。
思いもかけない創造をなさる方なので、驚きの連続でしたが、常に「間をみて察知する」
ことを心がけるとともに、先生のおもいを実現するための技術も磨いてゆきました。
「勅使河原宏・越前焼陶彫展」(パリ エスパス.ピエールカルダン)準備の様子(1981年5月撮影:勅使河原季里)
「勅使河原宏・越前焼陶彫展」(パリ エスパス.ピエールカルダン)
準備の様子
(1981年5月撮影:勅使河原季里)
「勅使河原宏・越前焼陶彫展」準備の様子(1981年5月撮影:ルネ.ロラン)
「勅使河原宏・越前焼陶彫展」準備の様子
(1981年5月撮影:ルネ.ロラン)

−こちらの写真は、「勅使河原宏・越前陶彫展」の準備をなさっている時のものですが、
書をなさる時はどのようなことに気をつけて準備なさったのですか。−

まず、新聞紙かダンボールを敷き、その上に越前和紙を用意します。
そして、筆を入れる為の墨汁入りのバケツを用意します。
書かれる時は、最初に和紙の上の要所要所に墨汁をたらしてゆき、
そして、途中とまることなく一気に気迫で書かれるのです。
ですから、バケツをもって和紙の周囲に控え、すぐに筆が入れられるよう気をくばるのです。
やはり、間をよむことが大切です。そして、静寂にします。
緊張感の漂う現場では、集中力がかけるような所作は出来ません。
もの音一つゆるされません。
いつも書こうとする文字は知らずに助手をつとめるわけですから、
長年の経験で培ったものも大きかったと思います。
ある時、宏先生から靴下をプレゼントされたことがありました。
制作時に私の靴下が墨だらけになってしまった事に、ちゃんと気づいていらしたのです。
日頃は無口でシャイですが、とてもやさしい方です。

−秋松さんの丁寧な仕事ぶりや的確な技術面でも絶大な信頼がありましたね。−

特に、竹という新しい素材に対しては、宏先生が表現なさりたいことを技術で
対応してゆく事に苦労しました。
しかしながら、先生のおもいがくみとれるようになってきたな、と感じたのも竹作品を
制作しはじめた頃からのように思います。
晩年、1999年「すさのお異伝」の仕事で熊野に同行した時、唐突に、
宏先生から「これからも草月に力を尽くしてほしい」というお言葉をいただきました。
印象深い、そしてうれしい思い出です。
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草月会埼玉県支部